離乳

母親は、乳児に満2年間授乳する。これは授乳を全うしようと望む者の期間である。父親はかれらの食料や衣服の経費を、公正に負担しなければならない。しかし誰も、その能力以上の負担を強いられない。母親はその子のために不当に強いられることなく、父親もその子のために不当に強いられてはならない。また相続人もそれと同様である。また両人が話し合いで合意の上、離乳を決めても、かれら両人に罪はない。またあなたがたは乳児を乳母に託すよう決定しても、約束したものを公正に支給するならば、あなたがたに罪はない。アッラーを畏れなさい。アッラーは、あなたがたの行いを御存知であられることを知れ。
(聖クルアーン 雌牛章 233節 -日本ムスリム協会 日亜対訳・注解 聖クルアーン-)




私の母は母乳が出なかった(出が悪かったのを出ないと思いこみ、産後3か月で職場復帰することもありすぐ諦めたらしい)ため、私は完全ミルクで育ったそうです。
そのせいか、私は母乳に対する思い入れが強く、我が子はどうしても母乳で育てたいと思っていました。
経験上、完全ミルクでも十分健康に育つことはわかっていましたが(笑)、母乳が出るのであれば、高いミルクを買う必要もないし、作る手間もない、赤ちゃんとのスキンシップは充実するし、いいことだらけ。
そしてインドネシアではこのクルアーンの教えに則って、満2歳まで授乳することが望ましいとよく言われます。
それなのに、最近は母乳より粉ミルクを与える人の方が多くなったようです。
一昔前までは、お母さんは所構わず授乳してる、、、そんな風景がよく見られるインドネシアだったのに、、、
最近は働くお母さんが増えたからでしょうか、みんな哺乳瓶を持ち歩いていました。
私が出産した病院でも産む前に哺乳瓶と粉ミルクを用意させられました。
初乳を与えたくても、強制的に病院がミルクを与えてしまうわけです。
産む前はそんなことさえ気づかずに、、、産んでから友達の話なんかを聞いて後悔しました。


出産後、順調に母乳は出、すぐに完全母乳となりました。
働く予定もなかったので、クルアーンの教え通り2歳までは母乳を飲ませようと決めました。
その後、日本に帰国することになり、その時娘は1歳半。 あと半年で離乳の予定。
しかし、インドネシアから日本へ、何がなんだかわからないままに連れてこられ、周りの環境と気候が一気に変化。
1歳半の赤ちゃんでもかなりのストレスを感じたようでした。
そんなことがあって、2歳の誕生日には離乳を断念。
大きくなればなるほど離乳は難しくなるとわかっていながらも、ずるずる、、、
お恥ずかしながら、つい最近まで授乳していました。
私もめったに薬を飲むようなことがなかったので、困ることもあまりなく、、、1.5歳検診の時には
「5歳くらいまで飲む子もいるので大丈夫ですよ〜」
なんて言われてすっかり安心。
赤ちゃんの時のように頻繁に飲むわけではなく、眠くなった時や不安を感じた時に欲しくなるようでした。
「もう、3歳になるんだからやめようね」
と何回言っても、まるで聞く耳をもたず、、、さすがに最近はまずいなぁと思い始めていたところ、急展開。
というのも、先日親子で感染した新型インフルンザ。
親子でタミフルを服用しなければいけなくなりました。
「授乳中と言えば授乳中ですが、、、舐める程度で赤ちゃんのようにいっぱい飲むわけじゃないので、大丈夫ですよね?」
なんて先生に言ってみましたが、内科のおじいちゃん先生、頭をかかえて、分厚い薬の本を読んだり、薬剤師さんに電話したり、、、、
「二人とも飲んでるからねぇ、タミフル、、、  それが問題なんだよね、一番簡単なのは授乳しないこと、それがてっとり早いんだけど、、、」
いやいや、病中で精神不安定な時に離乳なんて無理でしょ!と思った私は
「少しなら大丈夫ですよね?」と食い下がってみたが、、、
先生も適当な事は言えません。



帰宅後、
「ごめんね、あのね、今日からおっぱいにお薬がはいっちゃったの。だから苦いの、飲めないから我慢してね」
と言ってみると、案外素直に
「うん」
と、、、、  かなり拍子ぬけ&ほっとして、一番こわい夜を迎えました。
薬がきいて眠いのか、「おっばい〜」と言いながらも「お薬はいってるから、苦いの〜」と自問自答して、そのうち寝てしまいました。


奇跡


夜中も何度か起きて「おっぱい〜」を繰り返しましたが、私が「苦いよ」と言うと、
「じゃあ、さわるだけ」
と、痴漢のように手を入れてきました(笑)
なんともかわいそうだったけど、、、ひとまず成功。


翌日からもこんな繰り返し。
タミフルも飲みつくし、やっと普通の生活に戻ってきたあたり、、、、とうとう爆発しました。
離乳につきものらしい「泣き叫び」禁断症状です。
もう、おっぱいを飲みたくて飲みたくて仕方ないのに、飲めないとわかっていて、感情がコントロールできなくなるようです。
周りのものを投げまくる、蹴りまくる、泣きまくる、うなる、、、
まるで怪獣。 この状態が1時間も続くことがあって、さすがに私も根負け。
「飲んでいいよ〜」
と差し出そうとしたら、自分で私のスウェットを閉じ、
「飲まないの!」
と、、、、  本人が一番がんばっていたんですよね。 大人が負けるなんて、、、。ごめんね。
それから1日に一回はこの怪獣が現れ暴れました。
怪獣が出現しないときは
「おっぱいにお薬はいってますか?」
と、すごくいい子に、、なぜか敬語で聞いてきます。
もう、薬は飲んでないんだけど、、、
「ごめんね、はいってますよ〜」
と言うと、
「じゃあ、さわるだけ」
イヤ、さわるんじゃなくて、鼻の穴に突っ込んでます、、、ちょっとぉ〜。


3歳手前での離乳、、、
きっかけはインフルエンザでしたが、見事に成功しました。
もう怪獣が現れることもなく、「さわるだけ」の回数も減りました。
いつのまにか、いろんな事がわかり精神的に大人になっていた娘にもちょっと感動でした。
そして、、、私は娘が新生児だったころによく体験した、あの乳のハリ、あの痛さがよみがえってきました。
3年も母乳が出続けるなんて、本当に人間って不思議です。
いきなりの離乳、、、、実は母親の私の方が心の準備ができなかったのかも。
寂しい気持ちでいっぱいになりました。
でも、これで娘も私もひとつ成長。
久しぶりにこんな音楽聞いてテンションあげてます。

Mother's Milk by Red Hot Chili Peppers