Eid al-Adha

 犠牲祭、イード・ル・アドハーはズ・ル・ヒッジャ月(十二月)十日です。この月はイスラーム暦の最後の月です。これは、マッカへの大巡礼の主な過程を終えた後にお祝いします。この巡礼とは、全てのものをを犠牲にして唯一の神、アッラーに帰依するという精神に満ちたものです。

 イード・ル・アドハーには、歴史的な由来があります。イードの中で、イスラーム教徒は動物をいけにえにしますが、それはおよそ三千年前の預言者イブラーヒーム(アブラハム)の故事に因んだものです。

 預言者イブラーヒームは神へのいけにえとして、自分の息子イスマーイール(イシュマエル)を殺さなければいけないという夢を見ました。その朝、イブラーヒームは自分の息子に「私はお前を神のいけにえに捧げる夢を見た」と告げると、息子はそれが神の御意志なのだからとして、それに同意しました。

 そして、預言者イブラーヒームがいけにえを捧げる用意をし、息子を殺そうとした時、神は彼に羊をもたらし、イスマーイールの代わりにそれをいけにえにするようにと命じました。

 このことは、預言者とその息子がどれほど神に対して誠実であったかを示しています。この歴史上の出来事は『クルアーン』の中にも書かれています。
  (アラブ イスラーム学院HPより)
イードムバーラク
本日は犠牲祭。
モリーオ市でも礼拝&食事会が行われました。
今年は大学の中間発表日にあたったらしく、留学生の姿も少なく、いつにもましてさびしい犠牲祭。
女性チームはエジプト、パキスタンウイグル、マレーシア、インドネシア、日本

持ち寄った食べ物も、各国が集まってるわりには、なぜか似たような揚げ物系お菓子ばかり。
金曜日とあって、30分たらずの食事会で解散。
車で片道3時間弱、沿岸から参加したマレーシア人ご一家と記念撮影。

こちらのおじいちゃんと話していたら、インドネシアの亡くなった義父を思い出してしまいました。
包み込まれるような温かい笑顔。おばあちゃんもとってもいい方でした。



犠牲祭は、山羊、羊、牛を捧げます。
インドネシアでは犠牲祭の一週間ほど前からいたるところでミニ牧場ができ、家畜が売られます。
そして人々はみな犠牲の家畜の購入に一生懸命になります。
犠牲祭当日、礼拝所付近の空き地やモスクでは、犠牲に捧げられた山羊や牛たちが次々と解体され、その生肉は貧しい人、友達、近所の人などへ配られます。
近所の人々に生肉を届けるのは子供たちの役目でもあります。
宗教的意味とはまた別に、そんな光景を小さい頃から見て育ってきている子供たちは自然と食べ物に感謝するようになるのではないかと思いました。
  
今年は私たちもインドネシアの家族にたのみ山羊を一頭捧げることができました。
おいしいサテ・カンビンやグレ・カンビンが食べられないのは残念ですが、、、、
よい犠牲祭を迎えられました。