止まらない、、、

sambal dabu dabuが美味しすぎて止まらない(笑)

当初はバワンメラでほかのsambalを作ったり、ちゃんとしたインドネシア料理を久々に作ろうかと思っていたのに、どうやらこのsambalだけで終わってしまいそう。。。
ネットで注文すれば手に入るのだが、前回たのんだら意外に粒が小さくて、しかもすでに芽が顔を出したものが半分以上。
クレームをつけたくなるくらいの代物だった。 夏に注文したのは割といいものだったのに、季節が関係するのだろうか。
ということで、なんとなく通販で買うのもいやになり、先日母の東京行き土産に頼んだ次第だったが、、、。
やっぱり東京。アメ横センタービル。
自分の目で見て買えるから確実。 以前は会社帰りにちょっと回り道をすれば毎日でも行ける距離だった。
そして盛岡―東京間も少なくとも年に2回は新幹線に乗っていた。
今じゃ、新幹線なんて乗ることもなくなってしまった。
ほとんどの友達が東京に住んでいるし、懐かしい場所もいっぱいある。  
行きたい気持ちはいつもあるが、もう簡単に行ける場所ではなくなった。
東京から盛岡はとても近かったのに、盛岡から東京はなんて遠いんだろう。
今年こそは東京の友達に会いに行こう、と思っていたけれど、、インドネシアに帰るか東京に遊びに行くか、、、 と考えると選択の余地はなくなってしまう。
もちろん盛岡‐インドネシアは東京を経由するわけだが、東京で一時休憩をする時間もなかなか作れないのが現実。

いつの日か、ゆっくり友達に会ったり、買い物したり、懐かしい場所をめぐったり、、、、
そんな日が絶対くるだろう。
そしていつの日か、盛岡でバワンメラが買えるようになるのかな。

sambal dabu dabu

Manado出身のおじがよく作ってくれたのが、sambal dabu dabu。
それまで加熱しないsambalは、バリのsambal matahしか知らなかったけど、このmanadoのsambalはバリのに比べさっぱりしていて脂ものの料理にピッタリ。


先日、母が東京に行った際にたのんだお土産、バワンメラ。
とても新鮮だったので、さっそくsambal dabu dabuに。
にしんの塩焼きと供に食べました。 
あまりに美味しくて、結局、翌日も、その翌日も、、、、シーフード以外でも、もちろんごはんにも(笑)お美味しくいただけました。


sambal matahは、レモングラスやにんにくが入りますが、sambal dabu dabuは細かく刻んだ唐辛子、バワンメラ、トマトをレモン汁と塩、油(揚げ魚に使った油がいい味をだすそうですが、私はオリーブオイルを使用)で和えるだけ。
今年は青唐辛子の在庫がまったくなく、、、色合いがイマイチなのが残念!

鍋パーティー


盛岡市郊外の藪川では−22℃を記録するほどの連日の寒さ。
そんな中、もうすぐこの国を離れることになるか?もしれない、インドネシア人友達のご一家と我が家で新年会の鍋パーティーを開催しました。
その日は、ちょうどインドネシア語のレッスンもあったので生徒さんも招き課外授業。
こんな集まりの時は大抵インドネシア料理ですが、本日は塩味ちゃんこ鍋!
ぴり辛の鍋たれを作ってみたら、みんなフツーに「sambal」と呼んでいたのがウケました。
辛いタレ=sambalなのでしょうか、、、りんごのすりおろしやお醤油も入っていたのに(笑)
和食で決めよう!と思っていたのに、結局、鍋にemping(木の実の揚げせんべい)やシドアルジョのエビせんを食べ、タイのヤムウンセンをつまみに、、、食後はココナッツのあま〜いデザートと、南国風になってしまいました。
和風といえば、nemiさんの差し入れの「ぶちょうほうまんじゅう」(陽月さんの)
さすが盛岡の老舗の味だけあり、美味!! 前々から思っていましたがこの手の蜜が入っているおもちはインドネシアのkeleponに似ています。

(ぶちょうほうまんじゅう)     (kelepon)
盛岡人のくせに初体験だった私はリピーターになることまちがいなし!八幡まで通わせてもらいます♪
ボブマーリー子ちゃんの差し入れのグアバジュース、、、インドネシア人チームからは「なつかし〜、jambuだ〜」との声が、、、。インドネシアなら普通にあるもんね、確かに懐かしい味でした。


インドネシアじゃ想像もつかないようなさむ〜い夜に、あったかい鍋を囲みインドネシアの話しに花が咲く。
インドネシアは今は雨季、豪雨、洪水も頻繁なようです。25℃くらいで「寒い、寒い」と言っていたあの頃がとても懐かしく、うらやましく、、、。
本州一寒い盛岡市でも、残りたい理由はたくさんあります。
どうか、お友達一家がもう少しここに滞在できますように、、、願うばかりです。

selamat jalan...................

お正月は特になにもないインドネシアなので、新年のあいさつもいい加減に、やっと昨日電話をした。
すると新年の挨拶どころか、いきなりの耳を疑う訃報。
義兄の奥さんのお母さんが年末29日に亡くなっていた。
29日といえば元インドネシア大統領アブドゥルラフマン・ワヒドが亡くなる前日のことだ。
私にとってはもっと大事な人がこの世を去っていたのに、ただ元大統領の死に驚いていた年末だった。
義兄の奥さんのお母さん、、、日本で言ったら一生に何度かしか会わないような関係かもしれないが、「人類みな兄弟」のインドネシアじゃとても近い親戚。家がわりと近いこともあってよく遊びに行っていた。
日本軍政のころに覚えた軍歌を歌って「これはどういう意味なの?」とよく私に聞いてきた。
軍歌の意味をインドネシア語で伝えるのはなかなか難しく、悩んだものだったが、何十年も昔の歌をはっきり日本語で歌えることに私はとても驚いた。
私たち一家がインドネシアを立つ時はまだまだ元気で、こんなに早くこんなことになるとは思いもしなかった。 
もちろん、インドネシアの家族もそう思っていたにちがいない。なぜなら、前日まで本当に元気に過ごしていたという。
年末、スラウェシから帰省してきた長女一家のおみやげで食べた果実で食中毒になり、急に逝ってしまったのこと。
日本とちがって、はっきりとした死因は追及されないので、その果実を買ってきた長女一家の気持ちを考えるといたたまれない。


Bu... たくさんの思い出と笑顔をありがとうございました。


innalillahi wa inna ilaihi rojiun
Semoga amal ibadahnya diterima disisi Allah SWT dan mendapat tempat yang mulia disisinya.
Bagi keluarga yang ditinggalkan semoga diberi ketabahan dan keteguhan iman dan bagi semua orang yang mengenalnya mohon dimaafkan segala kesalahannya dan berkenan mendoakannya.
Amin.....